瓦礫の道にひかる、

うすっぺらな半透明みたいに

いつの間にか夏、そして秋

日記書き出したのはいいけど4ヶ月も空いてるね。筆不精なんだよなぁ。

実は今年の初めから仕事を辞めてニートになっていたんだけど、ようやく働けそうな目処が立ってきた。働くと偉そうに言ってもアルバイト。

今まで自分の能力への自負や自信なんかこれっぽっちも無くて、自分には何ができるのかわからないままだった。要領が悪くてそのくせ拘りは強くて、何をやっても人並みのクオリティに仕上げられない。そんな私でも自分の小遣いくらいは稼がないと仕方ない。

以前、何かの際に検査してもらったら、程度は強くないが発達障害の疑いがあるという結果が出た。ADHDよりはADD型。このことを免罪符にするつもりは毛頭ないけど、結果が出てみるとなるほど腑に落ちた。思い当たる節は以前からあった。なんだかなあ。

周りの人に恵まれてさしたる不自由もなく生きてきた。でもなんとなく自分がいる場所への違和感、自分自身への違和感、このちょっとした針の先で刺されるような「居心地の悪さ」が拭えなかった。本当の意味で落ち着ける居場所ってどこにあるんだろう、なんて考えてたらいつの間にか大人になってしまった。

こうして時間って過ぎ去っていくんだろうな。嬉しかったことも、傷ついたことも、電車の車窓からびゅんびゅん通り過ぎてくみたいに、いつの間にか遠くの出来事になっていく。やってきた夏も、もう直ぐ終わる。

薄暗がりと3匹(+1)の猫

私が今住んでいる建物の駐輪場に、夕暮れ時になるとよく野良猫がやってくる。

どうやら親子らしく、母猫は白地に黒の小さな斑模様、2匹の子供のうち雄猫は黒のハチワレにふさふさの毛並み、雌猫は右耳のあたりが黒くなっている。昼間は近所の家の庭に忍び込むか空き地で遊びまわっていて、疲れると私の自宅近くに引き揚げてくるようなのだ。

猫たちを外で見かけるようになってから、少しずつ彼らとの距離を近づけてみた。見つめあってみる。手を振ってみる。呼びかける。近くにしゃがみ込む。彼らは人に慣れていた。こちらが近寄っても大仰な動きをしない限りは逃げることもなく、気ままに自分の時間を楽しんでいた。

私も、いつの間にか彼らをあだ名で呼ぶようになった。

 

つい最近になって、そんな猫たちの様子をじっと窺う新しい猫が姿を見せ始めた。ふさふさの毛並みに黒い斑模様。あまりに今までの猫と模様が似ているので、最初は別の子供かと思っていたが、そうではないらしい。たまに母猫と出くわすと、剣呑な様子の母猫の鳴き声に気圧され、離れて行ってしまう。それでも逃げ出すことはせず、道路の脇や生垣の陰からそっと顔を覗かせては様子を見ているのだ。

 

新しい猫はまだ人に慣れていないので、私が近づいても即座に踵を返す。どうにかして仲良くなれないかと考えているのだが…。

 

春は真新しい麻布の色

新しい季節になったので、心機一転、というわけではないけれど、思い切って日記を新しくしてみた。

はてなブログは前々から場所だけ作ってあったのだが、どうもtumblrだったりnoteだったり投稿する場所が多すぎてどっちつかずになり、どこになにを置けばいいのやら、どこになにが置いてあるのやらわからなくなってしまったのだ。

いつもいつも、あれはここ、この内容はこっち、とジャンルや形態別に媒体を分けた結果、手が回らなくなって自棄になり初期化、というサイクルを繰り返してきた気がする。実生活でもそうで、中途半端なまま捨ててしまったノートや日記帳、手帳は数知れず。デジタル媒体ならば、初期化するのにも手間がかからずログも残るし便利かなあと朧気に考えての選択。

いつまで続くかわからないけど。

しばらくは、ここに何事かを書き留めておこうかな。